感性

久しぶりに、江國香織さんの作品を読んでいたら、どうしてもケーキを焼きたい気分になって、

作業の合間に紅茶のパウンドケーキを焼いた。

お客さんからお誕生日プレゼントに頂いた紅茶のティーパックを2つ入れた。


久しぶりに文章が書きたくなったから、ケーキを冷ましている間に書く。


感性とは、持つ人の在るがままを映したものだと思う。

同時に、人を惹きつけるものだと思う。


私が惹きつけられる感性の持ち主を、ここでひとり、紹介します。


Genの本棚食堂さん

げんさんのことは、よく知らない。

多分左利きで、多分マイペースな方。砂時計っぽい。


Twitterに流れてきた「クシシシシ」と笑うインド人の動画をきっかけに、げんさんの存在を知った。


気になる人はこちらをチェック 

最初はインド人にハマって動画を見ていたのだけれど、段々と感性に惹かれて動画を見るようになった。


げんさんの持つ本棚を紹介する動画は、私のお気に入り。

本や作者の紹介の仕方が好き。言葉の選び方が好き。

感性は、言葉を選ぶときに強く光ると、私は思う。

「君はインド人なんだよ」と言われたら、信じてしまうくらい、(?)

それくらい、げんさんの言葉の選び方に対して素敵だなあと思ってる。

この動画の短編小説を読んだときにも、

小説を書きながら感性をきらきらと光らせる、げんさんの背中がなんとなく想像できたし、

いつの間にかカタカナ5文字はきつね色の揚げ物へと姿を変え、私の頭の中をひらひら泳いでいった。

(短編小説、読んでみてください)


こういう、「この人の言葉なら、信じられてしまう」みたいな感覚を目の当たりにすると、

私の言葉はどのくらい人に届いているんだろうと、自分の言葉の行き先が気になり始める。


私の言葉で紹介したときに、どのくらい届くのかわからないけれど、

肩の力を抜いて、私が惹きつけられる感性の持ち主について、紹介してみました。

角煮おいしかった。

次の日にうどんに成長した角煮も、逞しかった。


さて、冒頭で、


感性とは、持つ人の在るがままを映したものだと思う。

同時に、人を惹きつけるものだと思う。


と書いたのだけれど、その「感性」から広がった話を少し。


最近、自分の感性と他の人の感性を、私の感性でじーっと見つめる機会があって、

そこで感性とは、ビー玉みたいなものだと思った。

(感性感性しつこいな)


人はそのビー玉みたいなものを、自分の手で、

磨いたり、色を付けたり、するんだと思う。

削って光を屈折させたり、羊毛で覆ってもこもこにしたり、する人もいるんだと思う。


そして、そのビー玉みたいなものを通して、世界を見るのだと思う。


恋人と、見えている世界の違いに悲しくなったとき、

社会の「普通」を見聞きして、心の扉をそっと内側に引いてしまいそうなとき、

自分と相手との差を見たときに、苦しくなったり体が重たくなるのは、私だけじゃないはず。


みんな違っていいとか、自分の意見を大切にしようとか、わかるようでわからないまま、

苦しくならない様に、体が重たくならない様に、何も思わない様に、過ごしてしまうことがあるのは、私だけじゃないはず。


けど、最近、

「自分が感性で世界を見る様に、他人も感性で世界を見ている」と、「みんながビー玉を握りしめながら生きている」と、

理解したら、スッと周りが明るくなった様な気がした。


「意見の違い」ではなく、「感性の違い」と捉えた方が、相手を受け入れる事ができて、楽になれるのは、私だけなのかな。


当たり前のことかもしれないけど、頭では分かることだけど、

私はこれを腑に落とすのにだいぶ時間がかかってしまった。


腑というのは、心の底のことだよ。



大切な人と一緒にいて、言葉にできないあたたかさを感じて安心するとき、

白い紙に黒い文字が並んでいるのを読みながら、鼻の奥がツーンとするとき、

多分それは、相手の感性と自分の感性が光を美しく反射し合ったときだと思う。


あまり大きいことは言えないのだけれど、

サメとうふのことが好きなあなたの感性を、私は私の感性で肯定することができるよ。


私の言葉の行き先はわからないけれど、

ここに残した言葉が、気持ちのよい春へと、足を進める為の風になったらいいなあ。


自粛自粛な世の中だからこそ、

自分の感性をじーっと見つめる時間を増やしてみるのも、よいのでは◎



そろそろ、紅茶のパウンドケーキ食べよ。





サメとうふ

鍵盤弾き語りシンガーソングライター

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