人への気持ちは、時間と共に変化する。
偶然と必然が混じり合った変化だと思う。
変化に伴って、人との間には、
「(相手を)美味しく味わえる期間」が存在するのかもしれない。
「人間関係の賞味期限」「相手からの卒業」と言うとちょっと切ないから、
「美味しく味わえる期間」と言うことにする。
私は多分、大切な人の気持ちの動きに敏感。
大切な人であればある程、敏感になる。
だから、相手が纏う空気から、私を「美味しく味わえる期間」の終わりを感じてしまうことがある。
「もしかして、そろそろ、あなたの中で私終わりますか〜?」なんて聞けたことはないから、
勘違いかもしれないけれど。
胸がキュッとする。
私は、余程のことがない限り、一度大切に思った相手への気持ちは水平。
関わる時間の量や、共有した嬉しい出来事を理由に右肩上がりすることはあるし、
不安や嫌な出来事を理由に右肩下がりすることもあるけど、
大体水平。
だから、
数年越しに友達とお茶をしたとしても、とっても美味しくお茶が飲める。
「あー、この人もう飽きた」と思ったことがない。
相手をずっと大切に思うが故に、決別すべき人と決別できずにいたりする。
良くも悪くもといったところ。
私の中には「美味しく味わえる期間」の終わりという終わりが見つからない。
美味しさにも色々種類はあるけれど。
相手も私と同じように「美味しく味わえる期間」の終わりという終わりが見つからなければいいのに。
私がもっと味わい深い人間であればいいのに。
そんな世界だったら、不安要素がひとつ減った中で恋愛を始められたり、バンドを組んだり(!?!?)、できるのに。
大切な人から向けられる気持ちの度合いをはかってしまうのは、愚かか必然か、判断する余地は無い。
相手が纏う空気から、私を「美味しく味わえる期間」の終わりを感じた後は、さーっと離れるか、徐々に離れるか、してる気がする。
これ以上痛みを感じたくないよ〜、愛おしさにはどうして痛みが伴うの〜、とか思いながら。
もしかしたら、私がさーっと離れた時に、相手は、「あれ、サメの中で俺に対しての「美味しく味わえる期間」終わった?」みたいなこと思ってたのかな。
だとしたら、嫌だな。
さーっと離れても、私の中では「美味しく味わえる期間」が続いているのに。
相手を大切に思う気持ちは、それ以上でも以下でもないのに。
大切な人には、終わりを意識せずに、私と一緒に居て欲しい。
エゴ。愛おしさ故のこと。
人への気持ちは、時間と共に変化する。
人への気持ちは緻密で美しい。
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